Silent Grief in Disaster Nursing Practice Following the Fukushima-Daiichi Nuclear Power Plant Accident
福島第一原子力発電所事故後の災害看護実践における沈黙の悲嘆
Kanae TAKASE1,2
1Former Fukushima Medical University Graduate School of Nursing, Fukushima, Japan
2Dokkyo Medical University Graduate School of Nursing, Mibu, Shimotsugagun, Tochigi, Japan
DOI: https:// doi.org/10.24298/hedn.2026-SP07
要旨
目的:2011年3月11日に発生した東日本大震災は,福島第一原子力発電所(NPP)の事故を引き起こした。地震,津波,放射能による複合的な被害は,地域住民は大規模な避難を余儀なくされた。避難所生活については広く知られているが,被災者が経験した悲嘆は広く知られていない。本稿は,災害後に被災者の悲嘆が認識されなかった理由について考察する。
方法:文献検索により災害後の悲嘆に関する論文を抽出した後,本研究では著者が被災者に見られる二種類の悲嘆についてナラティブ研究法を行った。その後,看護実践への示唆について考察した。
結果:被災者は複雑な悲嘆を経験した。地震直後の津波で家や愛する人を失った人々は,自らの苦しみが取るに足らないと感じ,悲嘆を公に語ることをためらった。一部の被災者は,自らの苦しみを取るに足らないものと見なすことで,感情的な痛みや苦悩を和らげようとした。さらに,福島第一原子力発電所の近くで働き,津波で同僚を失った人々は,災害との関連性によるスティグマのため,悲嘆を表現できなかった。
結論:被災者の一部は,自らの苦しみや悲しみを他の被災者と比較することで軽視した。また,災害との関連性によるスティグマのため,悲嘆について語ること自体を躊躇する者もいた。災害看護は,喪失が被災者に深い感情的影響を与えることを認識して提供されるべきである。
キーワード:災害看護,被災者,承認されない悲嘆,福島原発事故,自然災害
序論
本稿は,複合的な自然災害と人為災害からなる災害を通じて生じた実践に基づく経験を通じて,災害発生時およびその後の悲嘆についての看護師の理解を検証する。福島第一原子力発電所事故後の看護実践への直接的関与に基づくナラティブ(語り)の記述を基に,患者,介護者,そして災害関連の業務に伴って間接的に影響を受けた人々(人為災害の原因と関連すると見なされる者を含む)が経験する悲嘆についての理解を深める。本稿は複雑な災害環境における悲嘆への看護対応に関する新たな知見を提供する。災害後の悲嘆アセスメントに対する画一的なアプローチに疑問を投げかけ,包括的で非判断的な看護対応の重要性を強調する。これらは、災害看護教育,実践枠組み,災害状況下での対応能力構築への示唆を含む。
方法
2015年から2025年を対象期間として、PubMedおよび医中誌Webデータベースにて、「grief(悲嘆)」「disaster(災害)」「disaster victims(災害被災者)」をキーワードに、災害後の悲嘆に関する文献検索を行った。次いで著者は、被災者の間で見いだされた2つの悲嘆についてナラティブに要約し、看護実践への含意を考察した。ナラティブ研究法は、人間経験の意味を深く探究するうえで有用である(Holloway & Galvin, 2017)。それは災害被災者の死別(bereavement)の本質を捉え、被災者の思考や感情への洞察を研究者にもたらす。さらに、災害看護に携わる専門職が、具体的状況に即した知見を得ることを可能にする。
結果
2011年3月11日,東日本大震災が発生し,福島第一原子力発電所事故を引き起こした。福島県被災地で活動する地元自治体の保健師(PHN)と共に避難者への看護ケアを提供していた際,メディア報道や学術論文ではこれまで取り上げられてこなかった悲嘆に直面した。「悲嘆」という言葉は一般に広く使われるが,医学的定義では「強い絆で結ばれた人物(または物)の喪失に伴う,極めて強い感情的反応」である(Wolters Kluwer Health, 2006)。本稿では,避難民2名が,自分にとって大切な人物の喪失,あるいは喪失と認識した事象に対して経験した悲嘆について記述する。
最初の事例はAさんだ。彼女は津波で家が半壊したにもかかわらず,自宅に住み続けた被災者である。災害が発生し彼女の母親は助からなかった。Aさんは淡々と語り,自身の苦しみは他の避難者たちのそれに比べれば取るに足らないものだと述べた。Aさんは高齢の母親と同居していた。地震直後に津波が自宅を襲い,二人は波に飲み込まれた。津波は部屋の天井近くまで達し,水面から頭だけを出した状態で,かろうじて呼吸を続けていた。その姿勢を長く保つことはできなかった。Aさんと母親は次第に水深へと沈み,呼吸は苦しくなった。二人が握り合った手は次第に離れ始め,ついに離れてしまった。Aさんは母親の手を決して離さないと心に決めていたが,握っていた手から力が抜け,母親の手は彼女の指の間から滑り落ちた。Aさんは次のように語った。「もっと強く母の手を握っていれば,津波にさらわれて死なずに済んだのに。どんなに後悔しても母は生き返らない。胸が張り裂けそうだ」。それまで平静を装っていた彼女の目から,涙がこぼれ落ちた。
震災から一ヶ月後,私はAさんを訪問し健康相談を行った。彼女は地震と津波で損傷した自宅に避難していた。その家は半壊していた。彼女は福島第一原子力発電所から30キロ圏内に住んでいた。多くの住民は放射線の影響を恐れ,この地域に戻らなかった。被災者の中には,地震,津波,放射能という三重の災害を経験した者もいた。2025年時点で,2万人以上の元住民が福島県内外に避難したままである(福島県,2025)。これには,地震と津波で家を完全に失い全財産を失った者,家族全員を失い唯一の生存者となった者,環境中の放射線量の高さから帰宅できない者が含まれる。Aさんは,自身の苦しみはより深刻な被災者の苦しみと比べれば取るに足らないものだと述べた。母親を失った痛みが他人の苦しみより軽いと自分に言い聞かせることで,自身のつらい感情を抑え込もうとしたのだ。研究者との対話を通じて,Aさんは他人の苦しみと比較して抑圧した痛みや悲嘆を小さくする必要はないと気づき始め,抑えていた悲嘆を表現し始めた。
Aさんのような人々が悲嘆や苦痛の感情の表出を抑えるのは珍しいことではない。被災後1ヶ月間に実施した家庭訪問では,避難所や被災住宅,仮設住宅,賃貸住宅などに暮らす被災者への医療提供中に出会ったほぼ全員にこの反応が見られた。日本の看護研究者である宮林(2005)は,日本人は死別後,周囲の人々に自分の感情を率直に表現することは習慣的に行わないと指摘している。その代わりに,感情の表出は、ごく限られた状況に限定され,信頼できる少数の個人にのみ共有されるのが一般的である。この記述は,Aさんが悲嘆を直接表現することを抑制していることに合致する。Neimeyer,Baldwin,and Gillies(2006)は,個人は最終的な回復の状態には到達しないことを報告しており,Rosenblatt(1996)や川島(2008)も同様に,人々は悲嘆から完全に解放されることはないことを指摘している。したがって,福島第一原発事故後に被災地の人々が経験した悲嘆は,回復,緩和,消失という一様な段階を経て進行するものと特徴づけることはできない。
二つ目の事例は,福島第二原発近くの会社で働いていたBさんだ。Bさんは会社の公式発表で,津波による社員2名の死亡を知らされた。彼はこう語った。「亡くなったCさんとDさんは,災害発生から数日後に発見された。二人とも二十代前半の若者で,これから先の人生に多くの良いことや幸せな体験を経験できる可能性を秘めていた。 私は彼らよりかなり年上だが,生き延びた。何よりも,すぐに彼らを見つけられなかったことが深く悔やまれる。水から遺体が引き上げられた時,胸が張り裂けそうだった。たとえ原発事故の対応作業に携わりたいと思っても,周囲の放射線量がすぐに基準値を超えてしまい,最後まで任務を果たせない。それは本当に辛いことだ。」と,彼は少し震えながら,苦しげな声で語った。
私は震災から約半年後,福島第二原発から20キロ圏内の企業従業員への健康相談のため,Bさんを訪ねた。Bさんは涙を浮かべながら,亡くなった二人の従業員が発見された状況を語った。二人の遺体が収容された様子を,彼は生々しく描写した。東京電力(TEPCO)は、2011年4月3日,自社ウェブサイトでこの2名の若い従業員の死亡を発表した(TEPCO, 2011)。しかし新聞各紙が死亡を報じたのは2011年8月2日以降であった(日本経済新聞, 2011)。Bさんの証言に基づき,私はインターネット資料や新聞記事から二人の従業員の死亡に関する記事を探したが,一切の情報を見つけることができなかった。事故後の約2年間にわたる被災者支援活動においても,彼らの死は一切言及されなかった。
Bさんの悲嘆は,若い同僚を失ったことだけでなく,自身の仕事における役割も失ったことにも及んでいた。福島第一原発事故後の日本社会において,彼の悲嘆は特に公に表現しづらかった。その理由の一つは,Bさんの仕事が福島第一原発を所有する東京電力(TEPCO)と関連していたため,Bさんは事故を起こした企業と結びつけられて見られていたからだ。Goffman(1963)によれば,スティグマとは個人や集団が持つ属性により,自らを他者に公然と示すことが妨げられる状態を指す。Bさんは,災害の責任企業との関わりを,放射能災害の他の犠牲者たちから自分を隔てる望ましくない属性と認識していた。この望ましくない属性は,社会の目にはスティグマとして映り,Bさんへの信頼を損なった。さらに日本の神学者である高木(2014)は,死者への責任を感じたBさんのような人々が内なる苦悩にも苛まれると指摘する。人々は自然災害を許容できるが,人為的な災害は許せないのだ。Bさんにとってこれらの喪失がどれほど苦痛で悲痛であったにせよ,被害者側の立場にある者たちは,たとえ知的には過失がないと理解していても,災害の責任があると見なした他者を許すことはできなかった。Bさんとその会社に付いたスティグマが,おそらく彼が悲嘆を表現することを妨げていた。
上記で述べた二つの悲嘆の形は,地震,津波,放射能災害が複合的に発生した特異な場所である福島で経験された。災害からほぼ15年が経過した今も,福島第一原子力発電所から20キロ圏内に住んでいた約2万人の元住民は帰還できず,被災者たちは苦しみ,困難,そして深い悲嘆を経験し続けている。AさんとBさんの悲嘆は,数千に及ぶ悲嘆の体験のうちのほんの一例に過ぎない。
結論
複雑な災害への対応が全て同じだと考えるのは誤りだ。Aさんの事例で観察されたように,災害の規模が大きくなるほど,生存者は他人と比較して自身の苦しみを過小評価する傾向がある。さらに,放射線災害には,高放射線レベルのために帰還できない人々の悲嘆と,放射線災害の責任企業で働く従業員の悲嘆も含まれる。責任ある企業に関わる者たちは,社会から向けられる非難を恐れて悲嘆を共有することを躊躇しがちだ。災害の影響を受けた個人をケアする看護職者は,その人が災害の原因に関与したと見なされる者であろうと,生存者であろうと,偏見なく全ての被災者を受け入れるべきである。被災者は深い悲嘆を経験する。したがって看護職者は,津波や地震の影響を受けた人々に対し,自宅や職場を問わず,共感的な傾聴を提供すべきだ。災害看護活動において,私は災害前は健康で看護ケアを必要としなかった人々でさえ,その後も継続的な看護支援を望むようになった事例を観察した。災害は最も回復力の強い人々さえも脆弱にさせる。したがって継続的な看護ケアが必要かどうかを評価することが極めて重要である。
東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所の事故によって,福島県で被災した人々の悲嘆は今も続いている。したがって看護ケアは、被災者自身が「もう大丈夫だ。もう看護の支援は必要ない」と言うまで,彼らを支え続けることが必要である。最後に,看護学を含む学術研究報告は,このテーマに関して極めて限られている。日本社会は新聞,雑誌,テレビやラジオの報道を通じて被災者の悲嘆について学んできたが,災害看護の分野では,この悲嘆の多くがまだ十分に扱われていない。
注記:上記で説明した物語の詳細と設定は,AさんおよびBさんとして言及された個人の特定を防ぐために変更されている。
データ及び資料の利用可能性
該当しない。本研究においてデータセットは作成も分析もされていない。
開示事項
本論文に関して利益相反は存在しない。
謝辞
本論文は研究資金の提供を受けていない。
References
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